感謝 感謝
先週の金曜日、母方の祖母が亡くなりました。
96歳でした。
祖母は、7年前くらいから、トイレと食事以外はベッドで過ごすことが多くなってました。
そして、今年の2月に転倒し、右大腿骨頸部骨折をしてしまい、自宅で寝たきりの生活になってしまいました。
そして、先週の月曜日から食事が摂れなくなり、金曜日の午前中、息をひきとりました。
祖母の家は、私が育った家と同じ町内にあり、私たち姉妹は小さい頃母の仕事の都合で保育園の後は毎日祖母の家にいました。
私が結婚してからは、祖母と同居している家族が出かけて祖母が1人になってしまう時は、仕事をしていない私が車で2時間弱かけて祖母の家に行き、一緒にお留守番していました。
こんなことが1ヶ月に1度あり、3年くらい前まで続けてました。
そんなわけで、祖母は他の孫のことは忘れても、私のことはちゃんと覚えていてくれました。
時々、孫から娘に昇格することもありました。
それに、祖母も結婚して3年間子供が出来なかったらしく、同じようになかなか子供が出来ない私のことを気にかけてくれてました。
祖母は、大正2年生まれで、大正・昭和・平成と3つの時代を生きました。
子供が8人、孫が15人、ひ孫が19人いました。
お通夜も告別式も、親戚一同でも大人数でとても賑やかでした。
生前の祖母は、子供や孫やひ孫が賑やかにしているのを椅子に座って眺めていることが多かったです。
祖母は、自宅で息をひきとりました。
「自宅で看取る」ということを最期に教えてくれました。
元看護師の私は、祖母と一緒に住んでいる家族の看護&介護にとても不満がありました。
でも、口を出すことは出来ませんでした。
いよいよ具合が悪いという電話がかかってきたときも、もどかしくて仕方がありませんでした。
祖母が骨折してから何度涙を流したか、数えられません。
真剣にうちで引き取れないか…と考えたこともありました。
その度、主人に聞いてもらい、主人の考えを聞き、いろいろ考え、納得してきました。
私は、責任を持てないのだから、口を出すことはできないこと。
私は、親せきであって家族ではないこと。
96歳まで頑張ってきた祖母にどこまで頑張れと言うのか。
祖母は、住みなれた家で最期を迎えることができるのだから、きっと喜んでいるだろう。
元医療者としては、出来ることがまだあるだろうと思ってしまうが、それが祖母にとって幸せなことなのか。
私なりに答えを出し、「祖母が死ぬ」ことに向き合えました。
他人の事なら、「96歳?大往生だね」と簡単に言えるのに、身内のことだと全くダメですね。
お通夜の日は、お通夜だけに出席するつもりで家を出たのですが、思いのほか道路が空いていて納棺にも間に合っちゃいました。
伯母や叔父やいとこ達も、私と祖母の仲の良さを知っているいるので「みゅぅちゃんも会ってあげて」と言ってくれました。
祖母は、とても綺麗な顔をしていました。
主人も「むくみがなくて、とっても綺麗なお顔だね」と言っていました。
告別式の日は、主人が仕事だったので私は1人で出席しました。
主人が「ゆっくりお別れしてきていいよ」と言ってくれたので、最後の最後まで出席してきました。
告別式では、祖母の写真がスクリーンで流されたのですが、私の結婚式に出席した時の写真もあり、嬉しかったです。
大往生の祖母は、今頃どこも痛くなく、祖父や息子や娘と楽しくやっていることと思います。
おばあさん、ありがとう。










































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